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 守谷の夏がはじまる、八坂神社の祇園祭


八坂神社と祇園祭

  7月の最終土曜日に行われる八坂神社の祇園祭(ぎおんまつり)は北総三大祇園祭とよばれ、お神楽をはじめ神輿の巡幸も繰り出され、約五万人を越える人々の参拝を受け大成典となります。
  夏に流行る疫病を夏の前に祓ってしまおうということから、夏の始まりに行われるといわれています。神輿の渡御は年に一度、氏子の下に大神がお渡りになり氏子の願い事をお聞きになるため穢れのないよう白い衣装に麻を巻いた若い衆に担がれ、守谷の郷に設けられた御旅所を巡幸するものなのです。
  また、この祇園祭は幟祭(のぼりまつり)とも呼ばれており、他の神社で例を見ない数多くの幟が立てられます。幟は大神を天から呼び寄せる依代として立てるものといわれています。





素戔鳴尊と蘇民将来

 八坂神社に祀られている御祭神の素戔鳴尊の逸話にこのようなお話があります。素戔鳴尊が高天原から南海地方に降りられた時、道中日が暮れて宿を請うことになりました。途中に蘇民将来と巨旦将来の兄弟の家があり、巨旦は富者であったが宿を断り、蘇民は貧者であったが喜んで宿を提供しました。そして歳月がたち、再びその地を訪れた素戔鳴尊は蘇民将来にそのことを感謝し、『後世、疫病が発生した時、あなたの子孫たちは《蘇民将来の子孫である》といって茅(かや)で作った小さな輪を腰に付けなさい。きっとそれから逃れ得ることでしょう』と伝えています。 いつしか巨旦将来の子孫は絶え、蘇民将来の子孫はいつまでも栄えているといいます。
  この『蘇民将来子孫也』は、ふりかかる災厄から素戔鳴尊にお護り頂く言葉として現在に伝わっています。 そのような素戔鳴尊の逸話に習い、厄除け、病気除けの願いを込めて祇園祭は行われるのです。

八坂神社の宮神輿

 八坂神社の宮神輿は約800kg以上といわれ、各町内の氏子から選ばれた代表24人が交代なしで守谷市街地を担いで回ります。10km程の行程を6時間かけて巡り、各町内の御旅所を巡幸し氏子崇敬者の参拝をうけます。
  守谷の神輿の担ぎ方の特徴は"もむ"といわれる2度地面すれすれまで下げて一気に天に指す担ぎ方。夜になれば担ぎ手の勢いも増し、迫力のある宮神輿の姿を拝むことができます。

守谷の空を彩る雄壮な大幟

 この祇園祭は幟祭(のぼりまつり)とも呼ばれており、他の神社で例を見ない数多くの幟が立てられます。幟は大神を呼び寄せる依代として、またはその姿を弓にみたたて地域の魔を祓うという意味で建てると言われています。  この幟は氏子地域に17本建てられます。幟には様々な言葉がかかれています。その例を挙げてみましょう。

○鎮守素戔鳴尊
○斎祀素戔鳴尊
○祇園御祭礼
○神璽輝神徳

等があります。
 左の写真は上町の幟のひとつです。鎮守素戔鳴尊と書いてあります。この守谷の郷は素戔鳴大神が守っているという意味です。幟の先には榊の枝がついています。これは神主が祭典でお祓いに使う大麻(おおぬさ)と呼ばれる道具です。旗の部分が神を呼ぶ依代、大麻がお祓い、そして全体として弓を表現しています。


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